[SenUra] ならば一寸 目を開いて居よう

Author: たう餅

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───────人間の気配がした。

森の奥深くにある小さな祠。祠と言うほど大層なものではないかもしれないが、まあ、一応。
俺は……センラは、滅多に人間界には降りないのだが、こんな森の奥に人間の気配がしてはさすがに気になる。

別に祠がどうなろうと知ったこっちゃない。こんなものは人々が勝手に創造した『神』という信仰物を崇め奉るもの。俺には関係ない。

それでも気になったのは何故か。その気配は確かに人間の気配だったが、薄く、小さく、今にも消えてしまいそうなほど儚い気配だった。

「様子を見る、だけ」

人間が好きなわけではない。しかし、もし人間が森で死んでいたとして後から呪いだなんだと騒がれるのも面倒なのだ。

「誰かおるん?」

羽織っているマントで口元を隠しながらそっと覗いた。というのも、きっと俺の姿を見たら大抵の人間は恐れおののき、恐怖で走り去ってしまうだろうから。それならまだいい方で攻撃されるかもしれない。警戒心を高めながらゆっくりと祠に近づく。

地面に、小さな塊が転がっていた。

「こ、子供……?」

少し警戒心が解ける。子供は泥だらけの白い布に包まれており、息はしているようだが声をかけてもピクリとも動かなかった。
そっと布をめくると、

「ん゙、ぅ……」

腕は棒のように細く、身体中に痛々しい傷と痣があり、血は拭かれもせず干からびている。そんな悲惨な状態の子供が、薄い布に包まれて地面で眠っていた。

「ちょ、きみ!大丈夫なん!?」
「っ……」
「起きろや、おい!」

生きているのが不思議なくらいやせ細った体を揺らした。何度か声をかけると、やがてその子供は眉をしかめ、細く目を開いた。

あ、まて、やばい

目の前の傷だらけの子供に気を取られてすっかり忘れていた。俺の姿を見たらきっと怖がってしまう。でもこのまま放っておけないし。

何かいい案は、と考えるが何も思い当たらない。俺が慌てている間にもその子はゆっくりと目を開けて、

焦点の合わない虚ろな瞳を、ゆっくり彷徨わせた。

「っと、あの、きみ」
「……おかあさん?」
「は?何言うてんの」
「ぁ、ちが、ごめんなさい」

この子は俺を見て「おかあさん」と言った。いや、正確には俺を見ていたようには見えなかった。目は開けていたが目と目が合ったわけではない。

……まさか

「なあきみ、もしかして目見えへんの」
「……ん」

その事実を哀れと思いながら、ほっとしてしまった自分がいることに心底吐き気がした。

「どこから来たん。名前は」
「う、らた」
「うらた?それ苗字やろ。名前は」
「なまえ、なくって」
「……そう。なんでこんな所におるん」
「ここで、待っててって」
「だれが」
「ぇと、そんちょうさん」

両親が迎えに来るまでここで待っていろと置き去りにされたらしい。目が見えないから帰ることもできない。聞けば、おそらく10日近くこんなところにいたんだと。あまりの待遇に虫唾が走る。

「ぁ、あなたは……?」
「……センラ」
「かみさま?おれを、たべるの、?」
「神様なんておらんし、人間なんて食べへんよ」
「そ、っか……」
「ちょ、え?おい起きろって!」

安心したのか疲れたのか、その子は力尽きたように眠ってしまった。このままだと確実に死に至る。それは勘でも何でもなく、確信だった。

死なせたくない、と思ったのも。

ダッシュで住処に戻った。全力で飛んだのなんていつぶりだろう。
朝自分が使って片付けていなかった布団に子供を寝かせ、一つ息を吐いて、思う。

人間の子供ってどうすれば元気になるんや……??

長い間飲まず食わずで死にかけな子供に一体何をしてやればいいのか。泥だらけの体を洗ってやればいいのか、何か食べさせた方がいいのか、それとも別のことか。やばい、全く検討がつかない。

「と、とりあえずこういう時は、なんか食っとけば治るやろ」

うるさい。脳筋と言うな。俺は風邪引いた時とか具合悪い時はなんか食べて寝て汗かけば治ったんや。

そうと決まれば台所に急ぐ。さすがに空きっ腹に油っこいものはやめた方がいいだろうから、土鍋に余っていたご飯にそのまま卵と水と出汁をぶち込んだ。
卵雑炊。忙しい朝によくやるやつ。

ほかほかと湯気がたつ。卵雑炊は10分ほどで出来上がり、いい匂いが鼻を掠めた。ひとくち味見。……ちょっと濃いけどまあ、美味しいから無問題。

小さい鍋と取り皿をお盆に乗せて寝室に戻ると、うらたくんは布団の上に捨てられた子猫みたいにちょこんと座っていた。俺の気配に気づきゆっくりとこちらを見る。

「雑炊作ったんやけど食えそう?」
「ぞ、すい……?」
「食うたらわかるで。無理そうやったら吐いてええから」

はい、とお椀を差し出すがなかなか受け取らない。あっそうだ、目が見えんのやったこの子。
雑炊を取り皿に移し、ふーふーと冷ましてから、ゆっくり蓮華を口に近付けた。

「ほい、口開けて」
「ん、ぁ」
「熱いで」

蓮華を舌に付けるとビクッと肩が上がったが、ゆっくりその小さな口を閉じた。数回の咀嚼音の後、喉が動く。

「おいし、!」

花のような笑顔だった。

「これなに!?すっごくおいしい!」
「だから卵雑炊やって」
「たまごぞーすい、おいしい!もっと!」
「分かった、わかったから」

先程よりも大きく開く口に蓮華を運ぶ。雑炊をすくって、冷まして、口に入れて、まるで雛鳥の餌付けのような行為を数度繰り返した。その間うらたくんは幸せそうに笑っていた。

段々開く口が小さくなり、咀嚼に時間がかかるようになったのを見計らってお椀を置く。

「もうおなかいっぱいやろ」
「ん……」
「飲まず食わずだったにしてはまあまあ食ったやん。水飲める?」
「ありがと、」

水も支えながら飲ませたが、口の端から零れてしまった。ストローの方が良いかも。今度買ってこなければ。
「おいしかった…」と余韻に浸りながらうつらうつらしていたので、手を貸して布団に寝かせた。

「ねぇ、神様…」
「神様とちゃう。センラや。せ、ん、ら」
「センラ……センラは、人間なの?」
「、は?」
「だって、村の人じゃないでしょ?村の人だったら、おれなんかを助けるわけ、ない、し………」

寂しそうなつぶやきとともに、彼は眠りに落ちた。
この小さな体に一体どれだけの暗い過去を抱えているのだろう。それは分からないけど、そんな過去を思い出さないくらい幸せにしてやりたいとハッキリと思ったのは事実。

でも、いくらマントで隠しているとはいえ、俺の姿を見たらうらたくんは…うらたんは、やはり俺の元から去ってしまうんだろうか。

────この黒い羽根を、左の頬と体全体を埋め尽くす醜い火傷跡を、見てしまったら。

きっと離れていってしまう。

「……ごめんなぁ、うらたん」

貴方の目が見えないことを喜んでいる、醜い心を殺してほしくなった。

♪。.:*・゜♪。.:*・゜

翌朝。

俺が目覚めた時、隣の布団で寝ていたうらたんは未だにぐっすりだった。

「んーっ……朝飯でも作るかぁ……」

軽く伸びる。カーテンを開けるのはうらたんを起こしてしまうかもしれないからやめておいた。安心して心地良さそうな寝顔を見たら起こすなんて忍びない。

朝ごはんどうしよう。おにぎりくらいなら食えるだろうか。ああでも昨日の雑炊がまだ残っていたな。あとはウインナーと卵焼きと……

「………ん?」

1人で暮らすには広すぎる屋敷。そう、ここには俺1人しか住んでいなかった。昨日来たうらたんもあの部屋から出ていない。

なのに、鍋に余らせていた雑炊が綺麗に無くなっていた。

「はぁ…」

なんのことはない。泥棒でも侵入者でも、犯人はだいたい分かっていた。

「坂田ぁぁあああ!!!」
「うわっ!?ごめんって腹減ってたんやって勘弁してやぁ!!」

案の定縁側で雑炊を食べていた坂田を思い切り蹴り飛ばすと、坂田は庭をワンバウンドして翼を開いた。つまりは飛んだ。

俺と同じ烏天狗の坂田。こいつと俺ともう1人は同種族の中でも昔からつるんでいた所謂腐れ縁というやつで、今でも住処は違うものの3人で集まっては遊んだり話したりしている。
そして坂田は、時々うちに勝手に忍び込んではおやつを食べたりあまりの飯を食べたりするのだ。そう、勝手に。

「あのなぁ、こっそり食うのやめろって」
「なんやねん。いつもこのくらい許してくれるやん」
「今日は事情が違うんや…。とにかく帰って」
「事情?なんかあったん?」
「ともかく今日は帰れ」
「えー!?余計気になるんやけど!」
「はぁ……」

あほ坂田が。そんなにでかい声だしてうらたんが起きたらどうする。
しかしこうなると坂田は中々引き下がってくれないので、諦めて朝食を作ることにした。理想はうらたんが起きるまでに満腹になってもらって帰らせること。

「朝飯食ってくなら土鍋洗え」
「えぇ……」
「働かざる者食うべからずや!!」

土鍋を洗わせご飯を炊く。うらたんがいたであろう村なんかより余程技術が発達しているここには、ガスコンロもあれば水道もあるのだ。炊飯器はないけど。

というか、あんなに小さい子を森の奥に置き去りにするなんてどうかしている。祠の近くにいたので生贄の類だろうか。最近森の麓の村には雨が少なかったのでその関係か。それともただ捨てたのか。

「どっちにしろ胸糞やな」
「なにが?」
「坂田には関係ないからそこらへんで待っとけや。もうすぐ卵焼きできるで」
「うわーうまそー!」

卵焼きを皿に乗せた時、ばさばさっという音とともに庭にひとつの気配が降り立った。はぁ、と思わずため息。この客も見なくても分かっている。

「坂田やっぱりここにおったんやな…」
「げっ、まーしぃ」
「げっとはなんや!」
「おはよう志麻くん」
「センラおはよ。ごめんなぁいつも」

もう1人の腐れ縁である志麻くん。烏天狗なのに未だに飛ぶのが下手な坂田を心配してよく教えているのだが、坂田は練習が時々嫌になるようで今日のようにうちに逃げてくることがある。志麻くんが気配で見つけて迎えに来て、ついでに3人でご飯を食べる。いつもの光景だ。

だがしかし今日はいつもとは違う。さっきも言ったが。

「ええから2人ともさっさと飯食って帰ってや」
「だからなんでそんな除け者にすんねん!」
「いつもならええけど今日は……!」

ドサッ

何かが床に落ちたような鈍い音。志麻くんと坂田は椅子に座ったままきょとんとしていたが、俺はなんだか嫌な予感がした。なにより、廊下に感じる小さな気配。

「うらたんっ!?」
「ぅ゙……」

思った通り、床で倒れていたのはうらたんだった。倒れたのではなく転んだと言う方が正しいだろうか。手探りでここまで歩いてきて、俺が廊下に置きっぱなしにしていた荷物に躓いて転んだのだ。

「なんで一人で歩いてきたん!危ないやろ!」
「センラ……?」
「ただでさえ目見えてないんやから。ほら抱っこしたるからおいで」
「ぁ、きのうの、ほんとだったんだ」
「はぁ?」
「おきたら誰もいなかったから、夢かと思った」

でもね、お布団からセンラの匂いがしたから探してた。

五感の1つである視覚を奪われているというのはどういう感覚なんだろう。俺には知る由もないが、どっちにしろ不安要素ではあるはず。
うらたんは起きた時、真っ暗な視界の中で何を思ったんだろう。俺のことを呼んだのだろうか。返事のひとつもないシンとした世界の中、微かに布団に残った俺の香りに縋ったのか。

「…ごめんなぁ、寂しい思いさせて」
「?」

ゆっくりうらたんの頭を撫でた。茶髪がばさばさと揺れる。そうだ、風呂にも入れてやらないと。

この時俺はすっかり忘れていたのだ。今この家には俺とうらたん以外の存在がいるということを。

「センラなにしてるん?」
「ちっちゃあ!どうしたんその子!人間やんな?」
「でも髪ボサボサやし服も汚いし」
「ぁぁあもう……!」

うるさいのが来た。まだうらたんには会わせたくなかったのに。

「センラ?だれ…」
「俺らはセンラの友達やでー!この翼みたら同族って分かるやろ?」
「つばさ……?」
「余計なこと言うな坂田!!」
「わぷっ」

坂田の顔面をどつく。坂田は見るからに頭にハテナを浮かべていた。「意味がわからない」とでも言いたげだ。

「うらたんは目が見えてへんの!」
「ウラタンって言うん?俺は坂田!よろしくなぁ!」
「ぁ、はい」
「え、目が見えてない言うてもセンラが烏天狗ってことは知ってんやろ?」
「からす、?」
「ぁぁああああ!!お前はァ!!」

こうなると思ったから嫌だったんだ。うらたんには汚いものをできるだけ見せたくなくて、怖がらせたくなくて、だから俺のことは1つも説明しなかったのに。

みんな離れていった。俺がどんなに優秀でも、俺の顔の火傷を見ては顔を顰めた。

『気持ち悪い』

そばにいてくれたのは、それこそ志麻くんと坂田くらいだ。

「まぁ坂田もセンラも落ち着こうや。その子ビックリしてるやろ」

志麻くんの一声で、とりあえず全員でリビングに行くことになった。

「それで、どういうことなん?」

うらたんに朝食を与えながら2人の視線に耐える。初めてウインナーを食べたらしいうらたんはひと口ごとに目を輝かせていた。うん、可愛い。

「どうもこうも、森の祠で死にかけてたから連れてきただけやで。なー?」
「んぅ?うん」
「勝手に人間の子供連れてくるなんてセンラらしくないやん。その子の親は?麓の村に帰した方がええんやないの」
「それは……」

この子はきっと捨てられた。こんなにぼろぼろだったのに村に帰ろうとしなかったのも、その理由は目が見えていないからだけじゃない。

そう言おうとした俺より先に、うらたんの口が開いた。

「帰りたくない」
「え」
「うらたん?」
「いやだ、帰りたくない。なんでもするからここにおいて、ねぇセンラ、お願い」
「ちょ、落ち着いてやうらたん」

うらたんは手探りで俺の手を見つけてぎゅっと握った。その力は弱いが、強い意志が宿っている。
昨日出会ったばかりの見知らぬ存在に縋るほど、この子の今までは悲惨なものだったのか。

「……こういうことやから。分かってや志麻くん」
「まぁ分かったけど、それにしても」

志麻くんは俺を、正確には俺の翼を見つめた。目線から「何故烏天狗だということを言わないのか」という疑問が伝わってくる。まあ、それに関しては先程坂田のせいでバレてしまったわけだが。

分かっているのだ。うらたんが盲目なことを俺が利用しているのは。

「隠しててごめんな、うらたん。俺烏天狗やねん…て言っても、想像できらんかもしれへんけど」
「からす、見たことあるよ。小さい頃」
「そうなん?」
「5歳までは目が見えてたから。父さんが言ってた。俺のこれは呪いなんだって。俺は呪われた子だから俺がいるとみんなが不幸になるって」

そう言ったうらたんは寂しそうな顔のまま俯いた。

「なんや、俺と同じやなあ」
「え?」
「ああいや何でもない」

危ない。口が滑った。
慌てて首を横に振り、誤魔化すようにうらたんの頭を撫でる。驚きながらもくすぐったそうに目を細めるのがかわいい。

「うらたんは、人間じゃない俺とでも一緒にいてくれる?」
「うん」
「本当に?」
「センラ、すごく優しいから」

俺の着物の裾を握ってふにゃりと笑ううらたん。そんな彼を見た坂田は、この子は敵じゃないと認識したのか、手を繋いで外に引っ張った。

「わっ!」
「うらさんな。昨日来たばっかなら家の中案内したるよ!おれ坂田!」
「さかたっ?」
「センラの家広いから大変やもんな!てことでしゅっぱーつ!」
「わちょっ、まって!」

それはさながら嵐のようで、うらたんを救出する間もなく2人は廊下に消えていった。そもそもなんで俺の家なのに坂田が案内しているのかという真っ当な疑問はアイツには通じない。いろいろ奇想天外すぎるのだ。

取り残された俺と志麻くんは目を合わせ、お茶を1杯飲み、同時にため息を吐く。

そして志麻くんは、きっとうらたんがいたから飲み込んでくれていたであろう疑問を口に出した。

「なんでうらた…さん、に視力あげへんの?」
「んー……」
「そのくらいセンラの力やったら余裕やろ」
「そうやなぁ」

うらたんが視力を奪われた原因が外傷だろうが病気だろうが、俺の妖力ならうらたんに視力を与えることくらいは簡単だ。なぜそんな簡単なことをしないのか。志麻くんの疑問は最もである。

俺たち烏天狗はそれぞれ何かに長けている。志麻くんは飛行能力、坂田は治癒能力、そして俺は譲渡の能力。
俺も坂田も飛べるし、志麻くんも俺も多少の怪我は治せるが、例えば志麻くんの飛行能力は他の烏天狗の比ではないほど高い。長けているというのはそういうこと。

視力なんて大きな力を譲渡するのは志麻くんや坂田には難しいし、出来たとしても譲渡する側に何らかの不調をきたす恐れがある。しかし俺にとっては余裕だしなんのリスクもない。さすがに命の譲渡となると話は別だが。

「だから『譲渡』してやればええやん。うらたさんに」
「……」
「造作もないことやろ。視力くらい無いと俺らの中で生きていけへんで。もう村には戻りたくないって言うてるんやろ?」
「さっき言うてたしなぁ」
「ここで育てるんなら…って、センラが一番分かってるはずやけど」

うらたんを生かしたくないわけじゃない。

同情しないわけでも、哀れに思わないわけでも、幸せを願わないわけでもない。
ぼろぼろなうらたんを見て、寂しそうなうらたんを見て、ふにゃりと笑ううらたんを見て、どうしようもなく守りたいと思った。

でも、そんな思いより自分のわがままが勝ってしまうのだ。

「俺のこんな顔見たらうらたん絶対引いてまうよ」
「そんなことッ」
「普通に考えてみてや。5年も光を失ってたんやで?親にも村の人にも捨てられて、そんな自分を拾ったのが人間じゃないってだけでビックリするやろうに、俺の汚い顔みたら失神してまうわ」
「センラの顔は汚くなんてないやろ」
「汚い。俺はこんな顔大嫌いや」

─────爛れた左の頬。

坂田の強い治癒能力でも消すことができなかった酷い火傷跡は、薄くなってきたとはいえ今でも俺の肌を醜く蝕む。

この傷で人間に恐れられてきた。志麻くんと坂田以外の同族でさえも俺を毛嫌いする始末。ここ数年はやっと気持ちが落ち着いてきたのに、うらたんに拒絶されたりしたら俺はもう。

「うらたんは俺に縋るしかなかったんよ。だって目が見えへんから。俺の姿が見えてたら、きっと泣いて逃げるか腰を抜かして助けを呼んでた。今までがそうやった」
「センラ…」
「もう人間なんかに興味はない。けど、なーんかうらたんのことは離したくないねんなぁ」

うらたんの目が見えないことを好都合だと思う自分が心底醜いと思う。それでも、そんな惨めな自分に気づいていながらも、俺は嫌悪されることを恐れた。

結局、自分勝手。

「あの子には、あのまま何も知らんでいてほしいんよ」

ずきん。

もう感覚もないはずの古傷が痛むのは何故か。この時の俺にはわからなかった。







「センラっ、なんか手伝うことある?」
「えぇ?怪我されても困るしそこにいてや。うらたんの仕事は沢山寝て早く熱を下げることやで」
「う、うん…」

うらたんは俺が部屋に来る度に「なにか働くことはあるか」と聞いてきた。多分色々気にしているんだろうけど、生憎うらたんにしてもらうことはなにもない。坂田の能力で傷が治ったとはいえまだ発熱はしているし、体も強くないのだ。

お風呂も入って、傷んでいた茶髪もふわふわになった。うらたんにはそこにいて笑ってもらうだけで十分。

……だと、俺は思っていたのだが。

「うらたん!?なにしてんの!」
「しょ、食器洗おうと」
「見えないのに危ないやろ!落として割って破片で怪我したらどうするん!」
「ごめんなさい…」

「んしょ……ぅわっ」
「うらたん?ちょ、洗濯物なんてほっといてええから!」
「でも畳まなきゃ」
「だからええって!」

いくら俺が首を横に振っても、うらたんはなにかしようとした。危ないから、熱があるから、どんな理由もうらたんを止めるには至らない。

「センラ、雑巾どこ?廊下拭きたいなって」
「……うらたん」
「ん?」
「微熱とはいえ本調子じゃないんやし、それ以前にこの家で手伝いとかせんでええから」
「でも、置いてもらうのに何もしないのは」

「俺がいいって言ってんのが聞こえへんの!?」

堪忍袋の緒が切れたというか、何度も同じことを言うのが嫌だったというか、こんなにも伝わらないのかと苦しかったというか。

俺はうらたんを家政婦でもお手伝いさんでもなく『家族』として受け入れたかった。そのことがうらたん本人に伝わらないのは、流石にしんどいものがある。

「ご、ごめんなさっ…!あの、せんら、」
「もう寝る時間やろ。さっさと部屋戻りや」
「はい…」

手探りで壁を伝いながら、うらたんはとぼとぼと寝室に戻って行く。その背中はただでさえ小さい彼が余計小さく見えた。

「強く言いすぎた……」

すぐイライラしてしまうのは俺の悪い癖だ。
一旦頭を冷やそう。うらたんが洗おうとしていた食器を洗い、畳もうとしていた洗濯物を畳み、寝室に戻る頃にはうらたんは布団に包まれて眠っていた。いつものようにうらたんの隣に布団を敷き、自分も横になる。

「ごめんなぁ」

彼には謝ってばかりだ。本当に、情けない。

深夜。

ガサゴソ、がさごそ。布が摺れるような物音と、触られている感触で目を覚ました。

「ん゙……?なんや、」

俺が低い声を出すと何かがビクッと揺れた。少しずつ意識がクリアになっていく。今、俺は、着物を脱がされ……

……着物を脱がされている!!?

「はぁ!!?」

勢いよく起き上がる。俺の肌をまさぐっていた手が離れた。

この家には俺と彼しかいない。誰が犯人かなんて確認するまでもないし、なによりこんな小さな手の正体なんて1人しかいないだろう。

「ちょ、うらたっ、うらたんッ!!」
「わっ」
「わっじゃないねん!!」
「センラ起きたの?」

慌てて電気をつける。うらたんは俺の腰を跨るようにぺたんと座っていて、俺の着物は肩が見えるくらいはだけていた。恐らく俺が寝ている間にうらたんが脱がせようとしたんだろうけど。

「な、なんか探しとるん…?それとも寝ぼけて…?」
「起きたならちょうどいいや。センラ、服脱いで」
「はぁ!?なんでやねん!」
「なんでって……」

うらたんは心底意味がわからないというような、きょとんとした顔をしていた。

「もうこれしか、俺にできることないよ」

──────曰く

うらたんは失明してから、呪いを宿した子…所謂『忌み子』のように扱われていたということ。
親はうらたんを捨てたがったが、10歳に満たない子供を捨てると呪われるという言い伝えがあること。

忌み子に" 取り憑かれた "夫婦は村の人から哀れまれ、村人たちは協力して忌み子を順番に預かった。

ある者は、奴隷のように働かせ

ある者は、サンドバッグのように殴り

ある者は、己の性処理を強要した

「家に置いてやるだけありがたく思え」「お前なんか本当は追い出したいんだ」「呪われた子」「忌み子」「生きている価値がない」

「生きたいのなら、それなりの行動をしろ」

そんな言葉に形作られたうらたんは、今俺の目の前で泣いている。

涙を流しているわけじゃない。泣いている心に気づけないほど、自尊心も、プライドも、己の存在意義も、全てぼろぼろにされたのだ。

心は泣いているはずなのに、うらたんは平気そうな顔をする。

「(この子に「何もするな」って言うのはあまりにも酷なことやったんや)」

暗闇の中手探りで俺の服を脱がしていたうらたんを見て、必死に俺に「奉仕」しようとしていたうらたんを見て、やっと気づいた。

「なんでもします。なんでもするから、……捨てないで、センラ」

この子の知る普通がどれだけ悲しいものかを。

「…うらたん」
「っ、」
「捨てん。捨てるわけないやんか。うらたんはもう俺にとって大事な存在なんよ」
「…?どういうこと……?」

ぽかんとしているうらたんを抱きしめる。彼は一瞬ビクッと肩を揺らしたが、抱きしめられていると分かるとゆっくり体重をこちらに預けてくれた。

「何もしなくてもここにいていい…いや、俺がいてほしいんよ。うらたんにいてほしい」
「なんで?」
「俺がうらたんのこと好きやから」
「好き…?でも俺は忌み子で、呪われてて」
「それは違う。うらたんがいた村の人達は間違ってるんよ」
「そうなの、?」

1つずつ、少しずつ、呪縛を解いていく。この子がもっと自由に生きられるように。我儘を言えるように。
涙を流してくれるように。

「そうやなぁ…。うらたんはこの家で、俺の為に生きて?」
「センラのため?」
「そう。俺がうらたんのこと好きやからここにいて。俺のお願いを聞いて。うらたんが怪我したら俺が嫌やから、危ないことはせんで。な?」
「ぅん、、」

うらたんはやはりまだよく分かっていないようだったが、何にせよ言質は取れた。自分の意思で生きていいってことはきっと今日だけじゃ伝えられない。一緒に暮らしていく中で少しずつ伝えていけばいい。きっと、志麻くんも坂田も協力してくれる。

さっきはうらたんの壮絶な過去に絶句していたが、少し希望の光が見えた気がした。

「そうや、お茶でも飲もうや。ほら、前に一緒に取りに行った茶葉のやつ」
「センラが毎朝飲んでるやつ?」
「うん。うらたんまだ飲んだことなかったやんな?」
「飲む!」

きっと混乱しているうらたんの気を紛らわせようと、2人で居間に行ってお茶を入れた。
俺のお気に入りの茶葉。正確には薬草なのだが、普通に味が好きなので毎朝飲んでいる。この前散歩した時に一緒に摘んだやつだ。

「これ美味しいね」
「気に入った?良かったわぁ」
「ふふっ」

お茶を1杯。それだけで不思議と心は休まるものだ。
飲み終わると同時にうとうとし出したうらたんを抱き上げて、そっと布団に寝かせた。

「おやすみ」
「……センラ」
「ん?」
「ぎゅってして寝ると温かいんだね」
「そ、そうやね…?」
「初めて知った」

そう言って息を吸ったうらたんは、安心したように微笑んで目を閉じる。やがて、可愛らしい寝息とともに彼が夢の世界に旅立ったのだと分かった。

「…ふふ、かわいい」

絶対に手離したくない。嫌われたくない。

まだ、己の姿を晒せそうにない。

⛩️⛩️⛩️

「うらさんっ!来たでー!」
「やっほ〜」
「さかた!しまくん!」

声のする方へ走るうらたん。いくら危ないと言ってもすぐに走ってしまうのだから目が離せない。本当は目が見えているのではないかというくらい正確に、しゃがんで腕を広げていた坂田の胸に飛び込んだ。

「さかたあのねっ!俺、センラと庭の掃除した!」
「すごいやん!見えへんのに大丈夫なん?怪我してへん?」
「うん!落ち葉集めた」
「ほんますごいで。見えてるみたいに集めてくるんやから」

うらたんとの暮らしは順調だ。体調が戻ったのを見計らって少しずつお手伝いを頼んだら、とても嬉しそうに引き受けてくれた。それも、俺と一緒にやるものだったら尚更嬉しそうに。
相変わらず時々遊びに来る志麻くんと坂田ともすっかり仲良くなってしまって、それはちょっと悔しいけど。うらたんの笑顔に免じて許している。

「いやお前はうらさんのなんやねん」
「保護者や保護者」
「過保護すぎんねんばーか」
「小学生みたいな煽りすんなや」
「はぁ?ほんまのこと言っただけやし!」

坂田といると息をするように口喧嘩してしまうから困る。うらたんが不安がるから最近は控えようと努力しているが、どうもこいつに言われっぱなしだと全身が痒くなるというか。

「はいはいお2人共そこら辺にしとき。んじゃ、うらたさん貰ってくで」
「ちょ、貰ってくとかそういう言い方やめてや」
「別に間違ったこと言ってへんもん。なーうらたさん?」
「なー?」
「うらたんまでぇ!」

今日は、志麻くんと坂田がうらたんを連れて買い物に行く日だ。もちろん俺も行きたかったのだが、大天狗様にお呼ばれしているのでそれは叶わない。人間界で言ったら会社の上司に呼ばれているようなもの。そもそも、俺が家を空けるので2人にうらたんを預けるという話から、いつの間にか3人のお出かけになっていたのだ。

「はぁ……あんまうらたん疲れさせんとってな」
「大丈夫やって」
「ま…大天狗様に呼ばれることなんてそうそうないんやし大事な話かもしれんやろ。俺らのことは気にせんとってや」

志麻くんにぽんぽんと肩を叩かれ慰められる。思わず大きな溜め息をつくと、坂田の腕の中から抜け出したうらたんが「センラ、せんら」と言いながら空中に手を伸ばし始めた。

「うらたんなぁに?センラはここやで」

虚空を彷徨っていた手を握ってやると、うらたんはにこっと笑う。

「センラ、行ってらっしゃい。気をつけてね」
「…ありがとな。うらたんも気をつけて。お出かけ楽しんでな」
「うん!お土産買ってくるからね!」
「そりゃ楽しみやなぁ」

指切りを1つ。

志麻くんに抱かれて遠ざかるうらたんが見えなくなるまで手を振っていた。

提灯の明かり。

俺の家がうさぎ小屋に見えるほど途方のない広さの屋敷。

大天狗様の元に行く時はいつも変に緊張してしまう。滅多にこの屋敷に近づかないからというのが1つ。俺と大天狗様では位が違いすぎるというのが1つ。それと、

「あっセンラくん〜!お疲れ様です久しぶり!入って入って!何飲みます?紅茶?コーヒー?オレンジジュース?そうだ、またポケモンやりましょうよ〜!」

「………まふくん」

屋敷の壮観さとは裏腹に、大天狗様ノリがちょっと合っていないのが最大の理由だ。正直、どういう感じで接すればいいのか分からない。

「コーヒーで」
「はいはーい!僕はお茶で!お願いします!」

屋敷の使用人である小天狗たちがパタパタと飲み物を入れに行く。どうぞ、と示された座布団に座り、大天狗様…基、まふまふくんと向き合った。
まふくんはSwitchを取り出して一緒にゲームをしようとしてくるが、生憎今回はそんな時間はない。うらたんが待っているのだ。

コーヒーが到着してからすぐに話題を切り出した。

「それで、どうして俺は呼ばれたん?」
「随分急ぐね。このあと何か予定でもあるの?」
「いや、待たせてる子がおるから」
「それってこの前拾った人間の子供?」

その一言で気付いた。話というのはどうやらうらたんのことだったらしい。

「せやで」
「センラくんが拾いものするなんて珍しいよね。脅されてたりしない?大丈夫?」
「はは、何を心配してんねん。俺が自分の意思で連れて来たんやで」
「ならいいけど…。その子、目が見えないんでしょ?」
「よう知っとるね」
「坂田が教えてくれたんだけどさ」

まふくんはコップを机に置き、鋭い眼光で俺を射抜く。

「視力、あげればいいじゃん」
「……まーしぃと同じこと言いよる」
「姿が見られたくないって気持ちも分かるよ。その火傷跡にセンラくんが苦しめられてるのもわかる。けど、見た目くらいで幻滅してくるような子ならこれ以上一緒にいない方がいい。…と、僕は思う」

まふくんの考えは悔しいほど最もだ。このままにするのはうらたんが危ないことも、分かってる。でも、

「そう、割り切るには、俺はうらたんと一緒にいすぎたなぁ」

もう手遅れだ。あの子が大切になってしまった。志麻くんに言われたあの時に決断しておくべきだったかもしれない。もう俺は、うらたんのことを好きになってしまったから。

「うらたんに幻滅されたら生きていけんのよ」
「……」
「もし、うらたんが見た目で判断してくるような子でも、俺はあの子を捨てられへん…!」

そんなことはないと思う。でも、何度も信用して裏切られた俺はもう信じてあげることは出来ない。だからといってうらたんを手放してやることもできない。つくづく俺は狡い奴だ。

「盲目が悪いとは言わない。けど、ここは人間界じゃないんだよ」
「うん」
「生命力も危機察知能力もなにもかも僕たちに劣っている人間ってだけで危ないのに、子供で、目が見えないなんて。重りをつけて水中に飛び込んでるようなものでしょう」
「そう、やな」

俺が守るにも限界がある。道が舗装されているわけではないのだ。俺たちは飛べるから良いが、当然うらたんは飛べるわけなくて。

「…まあ、考えおいてね」
「ん、ごめんなまふくん」
「こちらこそ。ただ、僕はその人間の子を追い出したいわけじゃないから。それだけは」
「分かっとるよ。ありがとう」

顔を見合わせて、笑った。その後、「志麻くんと坂田に預けてるなら大丈夫でしょ」と2人でゲームをした。まふくんは俺とは比べ物にならないくらい高い位についたけど、根は昔と同じ優しい彼で安心する。

「(でも、まふくんの言う通りやな)」

大切な存在は自分で守らなければ。その為には、何かを犠牲にしなければ。

───俺はいつまで古傷に悩まされればいい、?

「……まふまふくん」
「ん?クエストルームする?」
「それだけは嫌や」
「あははっ」

俺は、自分をさらけだす勇気をそろそろ持つべきなのかもしれない。

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「烏天狗だ」

「災いの元」

「殺せ」

「顔に傷があるぞ」

「恐ろしい」

「殺せ」

「呪いだ」

「殺せ」

「 殺せ 」


──
───

「〜〜〜〜ッッ!!!」

荒い息。汗。涙。それら全てが自分のものだと分かったのは、起きてから数秒経ったときだった。

もう何年も前の話なのにまだ悪夢に出るのか。昨日まふくんとその話をしたせいか、否か。蒸し返す気などないのに、心はなかなかどうして言うことを聞かない。

「せんら?」

脳内を反響していたどす黒い人間の声の中に、小さな、柔らかな声が聞こえた。ぺたぺたと俺の寝巻を触り、やがて顔に辿り着いたその手は見えていないはずの涙を拭う。

「泣いてるの……?」
「っ、うらたん…ッ」
「怖い夢?センラ、大丈夫だよ」

優しい手つきと声に、俺は堪らず抱きついた。枕元ではうらたんが昨日のお土産にと買ってきてくれたうさぎの形の手元明かりが光っている。
俺がどんなに強い力で抱きしめても、うらたんは抵抗の1つもしなかった。

「よしよし、大丈夫、だいじょうぶ」
「っひ、ぅ、ケホッ」
「俺はセンラのこと大好きだよ」

頬が包まれた。唇に小さなぬくもりが触れた。

それは明らかにうらたんの唇で、俺は目を見開き、うらたんはいたずらっ子のようにくふふっと笑った。

「おかあさんに教えてもらったの。元気が出るおまじない」
「……」
「俺が『忌み子』じゃなかった時はやさしかったんだよ。ね、センラ、元気出た?」
「…うん。ありがとなぁうらたん」
「ふへ、よかった」

この時確信した。
この子には全て見せることが出来る。弱い自分も、醜い自分も、汚い自分も、きっと受け入れてくれる。

否、受け入れてほしいという俺の我儘だ。

「うらたん」
「んぅ?」
「あのな、朝になったらちょっと話があんねん」
「今じゃだめなの?」
「起きて、朝ごはん食べて、ちゃんと話したいんよ」
「ん、分かった」

元気をくれたお返しに額にキスを落とすと、うらたんはくすぐったそうに身を捩った。

この子の濁った目は、光を宿せば何色になるんだろうか。

恐怖と不安の中に一粒の楽しみが宿った。


そして、朝。

俺の腕の中にうらたんはいなかった。








「センラ!!」
「ぁ、しまくん」
「うらたさんがいなくなったって…」
「そう、なん。どこにもおらんねん。家中探したんやけど、どこにも」
「落ち着け。センラが死にそうな顔してどうすんねん」

うらたんがいない。ただそれだけで俺の心は簡単に揺らいだ。靴もなくて家のどこにもいない。震える声で志麻くんと坂田に連絡したら、志麻くんが駆けつけてくれた。

「坂田は近くを探しとる。俺らも行くで」
「しまくんどうしよ、うらたんになんかあったら、おれ」
「ほんまに落ち着け。何もないように探すんやろ」

どうして先延ばしにしたんだろう。俺が夜のうちに話をしていれば。視力を与えていればこんなことにはならなかったかもしれないのに…!

「センラ!!」
「っ、」
「反省も後悔も今すべきことじゃないやろ!何をすべきなんや、今から」

今から何をすべきかなんて、そんなの、

「うらたんを、迎えに……ッ」

助けに。
守りに。
謝りに。

好きだと、伝えに。

「だったら走れ。手遅れになる前に」
「はい……ッ」
「俺と坂田も探す。見つかったらすぐ保護して呼びに行くから」
「うん、うん、、ほんまありがとう」
「うらたさんが大切なんは俺らも同じやで」

微笑んだ志麻くんは、俺の背中に手を当てて言った。

「あの時…初めて俺と坂田とうらたさんで買い物行った時、ちょっとフクザツな気分になったんよ」
「え?」
「だってうらたさん、センラの話しかせんのやもん」

 『センラとね、ぎゅってして寝たんだよ』

 『暖かかったんだぁ。すごく』

 『俺、センラに拾われてよかった』

「せやから、はよ見つけてやらんとな」
「っ、当たり前や…!!」

ばさり。
マントを捨てて、羽を大きく広げた。いつも自分を守って自分の弱さを隠してくれていたマントだが、今は邪魔なだけだ。うらたんを助けるには。

「待っててな、うらたん」

まだ貴方に伝えたいことがあるから。

▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱

…………痛い

起きたら視界は真っ暗だった。正確には、光を感じなかった。俺は目が見えないけどなんとなく明るいか暗いかくらいは分かる。だから、ここは暗いんだなってことだけは、分かった。

身体中が痛い。手も足も動かなくて、起き上がろうにも力が入らない。肺が握り潰されているように息がしにくい。

あの時みたいだ、森の中に置き去りにされた時。
ここには祠がある。お前は神様にお祈りを捧げるんだ。ずっとずっと、両親が迎えに来るまで続けろ。お前の祈りが届けば迎えが来るだろう。

そう言われてずっと目を瞑って手を合わせてた。お腹がすいて、身体に力が入らなくなって、意識をふわふわと彷徨わせていた時、彼に出会ったのだ。

「せ、ん゙ら……」

センラは、センラはどこにいるの。

確か、俺が朝起きた時にはセンラはまだ寝てた。朝ごはんを作ったら喜んでくれるかなと思って台所に立った。
お茶を沸かそうとした時、センラが大好きな茶葉がもう無いことに気づいた。

 『ここに生えてるんやで。ほんまは茶葉とちゃうんやけど、俺この葉っぱを濾してお茶にするのが好きでな』

センラが毎朝飲んでるやつ。俺も1回だけ飲んだことがあるけど美味しかった。茶葉の場所は連れて行ってもらったから分かる。

……勝手に行ったら、センラ怒るかな。

でも、ただでさえ俺はセンラに何も出来てないんだから少しは役に立ちたい。それに、センラは俺のこと大好きだって言ってくれた。俺もセンラが大好きだから、何かしてあげたい。

それに、昨日の夜、センラ泣いてた。

志麻くんと坂田と一緒に買い物に行った時センラに買ったうさぎさんの形の手元明かりを、センラはすごく嬉しそうに受け取ってくれた。今でも大事に大事に使ってくれてる。

俺からのプレゼントで、少しでもセンラが喜ぶのなら。涙が止まるなら。

──────そう思って、家を出て

「(歩いてたら足が滑って…多分、崖から落ちたのかな)」

気をつけていたつもりだけど見えなかった。体がふわりと浮く感覚がして、気がついたら俺は仰向けに寝ていた。

「(なにも、みえない)」

当然だ。俺の視力は5年前にその力をなくしてる。見えないのは当然。もうとっくの昔に慣れた。……はず、なのに。

「こわぃ……っ」

体が動かなくて、目が見えない。自分の力ではどうすることも出来ない体に酷く恐怖を感じた。置き去りにされたあの時と同じ。あれ、でもあの時はこんなに怖くなかった。だって、

 「こ、子供……?」

あの時はセンラがいてくれた。
優しく包んで抱きしめてくれた。
だから、俺はその体温に身を委ねるだけで良かった。

でも、今はセンラがいない。

「っけほ、けほッ、、せんら…」

ここがどこかも分からなくて、どうすればいいかも分からなくて、縋る体温がないだけで俺はこんなにもちっぽけで、弱くて。

見えない

真っ暗だ

見えない

何も見えない

暗い

怖い

ひとりぼっち

怖い

真っ暗な中に、ひとりぼっち

嫌だ

痛い

怖い

ひとり

ひとりぼっちは、嫌だ

「うらたんッ!!!」

その声で、うるさいほど暴れていた自分の息が一瞬止まった。胸が苦しくて、でも力が入らないから胸を押さえることもできない。

センラの声がするのに、センラがどこにいるのか分からない。

「ぁ゙、せんッ、っは、ヒュッ…」
「うらたん大丈夫……じゃないよな。怪我しとるよな。ごめん、ごめんなぁ」
「ッゲホ、はっ、ゃ、…んら゙、やぁ……っ!」
「うらたん、?」
「っっは、、ヒュッ、かヒュッ、ふ、ぅ゙」
「うらたん…!」

多分、抱き起こされた。
多分、抱きしめられてる。

分かんないのは、見えないから。

「うらたん、ゆっくり息吐いて。俺がおる。ここにおるから大丈夫やで」
「かはッ、ゲホッゲホッ!っは、ヒューッ」
「っ……落ち着いて。ここにおるから…」
「、どこ」
「え?」

センラの手を握りたいのに手は動かないし、センラの手がどこにあるのか分からない。

「センラ、どこにいるの……!!」

ここで、俺の意識は途切れた。









「センラ、うらたさん起きたで」
「……」
「坂田の治癒で怪我はほとんど残ってへん。もう大丈夫やろ」
「……」
「今は坂田が話しとるけど、センラは?って言うてたよ」
「……」
「ほら、いじけてへんで」
「……別にいじけてるわけじゃ」

あの後、うらたんは意識を失ってもなお苦しそうに呼吸していた。それを口を塞いだり抱きしめたりしてどうにか治め、そこから近かった志麻くんの家にお邪魔させてもらうことになった。

崖から滑り落ちたのだ。落ち葉のクッションがなければもっと酷い怪我を負っていただろう。

俺がうじうじせずにさっさと視力を与えていれば、きっとこんなことにはならなかった。

「もー、それ今考えたってしょうがないやろ!今はとにかくうらたさんに会ってやってや」
「……でも、うらたんを危険に晒した俺が会う資格なんて」
「あほ」

志麻くんは俺の頭を軽く叩いた。

「そういう話とちゃうやろ。今はうらたさんをケアするのが優先。そのうらたさんがセンラに会いたい言うてんねやで?」
「……」
「うじうじしてたこと後悔してんのやったらはよ行ってきぃ」
「……はい」

志麻くんに背中を押されて歩く。正直今のぐちゃぐちゃな感情の中でうらたんに会いたくはなかったが、無事を確認して抱きしめたいのも事実。

うらたんがいる寝室の襖に手をかけた時、ふと中の話し声が聞こえてきた。つい気になり耳を澄ます。

「さかた、センラどこ?もう泣いてない?」
「さっきから何回聞くんよ!もうすぐ来るから安心してや」
「う、うん……」

良かった。声を聞く限りは大丈夫そうだ。
安心して襖を開ける。否、開けようとした。手が止まったのは、うらたんの声が聞こえたから。

「センラの傷は大丈夫…?」
「えっ」

思わず声が漏れそうになった。俺が聞いてるとも知らないうらたんは、どんどん話を続ける。

「右…じゃなくて、俺から見て右、だから、センラの左のほっぺたとか。首とか、腕とかも。あるでしょ?」
「えっと…」
「センラね、怖い夢見た時とかぼーっとしてる時とか、よく痛そうにしてる。あんまり俺に気づかれたくなかったのかなって思って言わなかったけど」
「ちょ、ちょっと待って!」

饒舌に話すうらたんを、坂田が止めた。

「うらさんなんでセンラの傷のこと知ってんの?ホントは見えてるん……?」
「見えないよ。触ったらそこだけちょっとざらざらしてるからそうかなって。ほら、俺村にいた頃結構怪我してたから触った感じそうかなって」
「そ、そんなん分かるん…」
「分かるよ」

くふふ、と笑う声が聞こえる。あ、多分今可愛い顔してる。
そうか、傷のことはとっくに知られていたのか。

「でもね、それでもやっぱり悔しいなぁ」
「悔しい?」
「だって、俺はこんなにセンラのこと好きなのに」

声が徐々に震え出す。きっと、いや、絶対泣いている。今すぐこの扉を開けて抱きしめなければと思うのに、何故か俺の体は動かなかった。

「おれ、センラのこと好きなのに、大好きなのに」

「俺だけがセンラの顔を知らないの……っ!!」

───センラの全部を知りたいのに
───こんなにも好きなのに、どんな顔をしているかも分からない

────くやしい

「なん、っで、おれの目、見えないの……ッ!!」
「うらさん…」
「すごく、怖かった。センラは助けに来てくれたのに、抱きしめてくれたのに、まっくらなままで、」
「……」
「ひとりぼっちのままで、おれがセンラのこと一番知りたいのにッ!おれ、センラがどんな顔で、どんな姿なのかも、知らなくて……!!」

おれは、うらたんの泣き叫ぶ声を初めて聞いた。

目が見えないことも、うらたんがこんなに悔しがって苦しんでいたなんて知らなかった。

……自分が馬鹿みたいだ。

「うらたん」

「あ、センラ」
「え?せん、ら?」

うらたんは涙で目元を真っ赤にしていた。その目はやはり光を宿しておらず、俺を視界に捉えていない。今まではなんとも思っていなかったそのことが、先程の嘆きを聞いた今では胸が張り裂けそうなほど苦しい。

「うらたん、おはよう」

まずは無事でいてくれてありがとう。それから、話がある。
うらたんの手をそっと包んで深呼吸をした。坂田は静かに俺の肩を叩いて部屋を出てくれた。

「あのな」
「うん」

この一言を言うのが、ずっと怖かった。

「俺のこと、見たい?」

「………え?」
「今まで黙ってたけど、俺はうらたんに視力を与えることができる。だから、うらたんがもう一度外の世界を見たいなら、それもできるんよ」
「……」
「黙っててごめんな。俺、怖かったんよ。……うらたんも気づいとるかもしれんけど、俺の体には大きな火傷跡がある。見てて気持ちいいもんやない。それでも、俺の顔が見たい……?」

うらたんは俯いていたが、小さく声を発した。

「おれは、センラのこともっと知りたい」
「…うん」
「でもセンラが苦しいのは嫌だから、俺はセンラのこと見たいけど、センラが嫌なら、このままでいい」

──────嗚呼

そうだ。この子はそういう子だ。自分よりも他人を優先して、他人の幸せを第一に考えて、我慢して、堪えて。

俺の姿を見ることで何かが変わるのか、何も変わるのか、それは分からない。けど、うらたんから俺に歩み寄ろうとしてくれている1歩を、俺の我儘で失くすのは嫌だった。

「うらたん、目瞑って」
「へっ」
「今から視力をあげる。俺がいいって言うまで、目は開けんでな」
「つ、次開けたらもう俺、センラのことが見えるの?」
「せやで。怖い?」
「こわ……い、のかな。分かんない。センラ、ぎゅってして」
「ええよ」

戸惑っているうらたんを安心させるように腕の中に閉じ込めた。俺もうらたんも怖がりなのは一緒だ。こちらの震えも伝わらないように強く抱きしめる。

「いくで」
「……ん」

ぎゅっと目を瞑ったのを確認して、うらたんの瞼に手を当てる。深呼吸を1つ。意を決して、力を込めた。

「……」
「せんら、?」
「……開けてええよ」
「う、うん」

ゆっくり、ゆっくりと瞼が開かれて、

エメラルドの瞳と、目が合った。

「……………ぁ」
「……」
「せんら……?」
「……そ、やで」

こんなにうらたんと見つめあったことがないから、照れくさくて恥ずかしくて、目線を逸らしそうになる。それを阻止したのはうらたんだった。俺の頬に手を添え、じっと俺の瞳を見つめる。

そして、

「せんらだぁ」

ふにゃりと笑った。

「うらたんちゃんと見えとる?気持ち悪いとかない?」
「うん大丈夫。…ふひ、センラ、こんな顔なんだ」
「……引いた?」
「なんで?かっこいいよ」

火傷を隠すためにアシンメトリーに伸ばしていた髪をかきわけ、うらたんはいとも簡単に俺の火傷の傷を撫でた。

「この火傷の理由は聞いてもいいの?」
「……大したことじゃないんよ。火事になった家に子供が取り残されてん。その子を助ける時にちょっとな」
「そっか。じゃあ『戦士のくんしょう』だね」
「え」

そんなことは初めて言われた。みんな俺の火傷を見たら、気味悪がって離れるか、チラチラ気にしながらも絶対に火傷の話題には触れないから。

この傷を認められたなんて、初めてだった。

「あ、志麻くんと坂田もどんな顔なんだろ!気になる!早く行こ!」
「ぇぇええ早ない!?俺のターン終わりなん!?ちょ、走ったら危ないから!」

ベットから飛び降りる勢いのうらたんの手を慌てて掴むと、うらたんはまた嬉しそうに俺を見上げた。

「これからは隣を歩けるね」
「え?」
「今まで俺が歩くの、センラの後ろばっかりだったでしょ」

それは、うらたんの目が見えてなかったから当たり前だったんだけど。

「こうやって隣歩けるの、すげー嬉しい」
「…!」
「ありがと、センラ」

これからもよろしくね。

そう笑ううらたんがあまりにも愛おしくて抱きしめたら、苦しい!と怒られたのはここだけの話。



fin

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